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私の介護をするためにあなたを生みました

どんな話の流れだったか、ちょっと忘れたのだけれど、

「あんたは私の介護をするために育ててるんだよ」

と、言われたことがある。

その時、母が何を考えてそのような発言に至ったのか

今となっては定かではないのだが、

酷い言葉というのは、その時の文脈を無視して、

その言葉だけが凶器のように心に突き刺さり、一生抜けることはない。

その時私が思ったことは、

「私に何か自分で決める権利などないんだ」

「母に食わせてもらっている以上、言うことは聞かないといけないんだ」

「たとえ将来自分で稼いで生きていけるようになったとしても、
そこまで食事を与えた母の言うことは決して背くことはできないのだ」

そう思わされた。威圧的に。

そして、

私はこの世に産み落とされてしまったことにひどく絶望したことを覚えている。

「私はなんのために生まれてきたのか」

「私はいつまで生きなければいけないのか」

母と毎日喧嘩をするたび、

答えのない問いを繰り返し、

答えは出ず、

疲れ果てて眠りについた。

翌朝、台所へ行くと、

まるで昨日は何もなかったかのように

自分のことを元気にしゃべりまくる母がいた。

今思い返すと、きっとあのときの母は、

子どもをひどく傷つけたなどと微塵も思わず、

覚えてはいなかったのだろう。

自分の言いたいことを感情のまま吐露し、

子どもにぶつけて、

勝手にスッキリしていたのだろう。

ちなみに、その頃すでに祖母は他界しており、母には逃げ場がなかった。

いわゆる、「実家に帰ります」的な

愚痴をこぼす場所が彼女にはなかった。

子どもながら私はしっかりしていたと思う。

でも、やっぱり、子どもには親の苦労を一緒に背負ってあげられるような

経験値も、キャパも、察する力もない。

負の感情を押し付けられた子どもの私は、

あの頃からすでに崩壊が始まっていたのだろう。

誰が悪いとか、そういうんじゃなくて、

誰かに助けて欲しかった。

私たち家族は外から見ると

“普通の家族”だった・・・のだろうか。

外からの介入は難しい。

おそらく今でもそうだろう。

同じような子どもは今でもきっとたくさんいる。

今の私にできることはなんだろうか。

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